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補助輪

昨日の日曜日は、引き出しの隅に もしもの場合に備え、取って置きたいほどの天気だった。

来春、小学校入学予定の彼女(長女)が、前々から自転車で小学校までの登校ルートを走ってみたいと言っていたことを思い出した。
彼女の3年先輩である、彼(長男)に相談すると ここぞとばかりに得意げな感じだったので、3人で自宅から片道約1kmほど先にある小学校に向け、自転車で走ることにした。

彼女の自転車の補助輪は、今年5月の連休明けぐらいには外してあった。

補助輪を外すことは、彼女からの提案だった。
「押さえてる?ちゃんと押さえてるよね?押さえててよ!絶対に!」、「ちゃんと押さえているよ!大丈夫だよ!大丈夫!」などと6回ぐらいのやり取りを繰り返した後、7回目ぐらいに嘘をついたその時、真っ直ぐ数10m走ることが出来た。
全くと言っていいほど手は掛からなかったが、自転車を押さえていなかった嘘を問いただす彼女に手を焼いてしまった。

長男は、小学校入学した後の夏休み期間中に3日間費やした。
厳密には、その前に数回は妥協してしまったので、それ以上の日数は費やしていた。

なんだか いい意味で裏切られた気分だった。

そんな彼女を先頭に、交通量の多い、市営体育館とショッピングセンターが隣接する国道沿いを注意して走り抜け、大きな川沿いの道を彼女、彼、私の順で小学校裏側にある緑色した陸橋を目指した。

彼女の後ろを、彼がその得意げを風になびかせ注意を促し、時折叫びながら走っている。
そんな彼女は、彼の注意を五月蝿がって必死に陸橋を目指してペダルを漕いでいた。
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子供の色々なところの補助輪が外れていることを頼もしく思った。
近い将来、私という補助輪も外れる日が来ることを考えると、雲一つ無い秋空が非常に勿体無く思えた。

年取って脳みそのシワが減った分、心にシワを増やさないよう、たまには気持にアイロン掛けでもしてみる手立てを考えてみよう。
時々、洗濯層の隅で取り出されることを忘れられてしわくちゃになってたりするから。

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