マツダさん

マツダさんは、品質管理部という部署の部長で、すこし以前(まえ)まで上司だった。

マツダさんは、取引先などからのしちめんどくさい電話には、「どうも」のイントネーションを使い分けて対応した。
「はい、お電話かわりました、マツダです」
「ああー、これはこれは、どうも、どうも」
「ええ、はい、それが どうも ですね...」
「はい、そうしているのですが、どうも...」
「ええ、どうも そのようなんですよ、なんだか どうも...」
「はい、そうしたいところなのですが、まったく どうも...」
「ええ、わかりました、それでは、はい、どうも、どうもお...」がちゃり。
前座をそつなくこなす老練なプロレスラーのような、どうもマスターだ。

マツダさんには、年頭行事として楽しみにしていることがあった。
毎年、マツダさんには、取引先から結構な量の年賀状が会社に届いた。
ある取引先は、マツダさんの部署名を数年来「寝室管理部」と記していた。
その年賀状を眺めながら、毎年決まって「東北訛りで入力しちゃうところに、郷土愛を感じるよなぁ」などと言い、「出来ることなら、年中、寝室を管理したいよなぁ」とうしゃしゃ笑う。
そんなマツダさんは、客先の外注管理課の担当者に宛てたメールに害虫管理課、在庫を雑魚などと記す、豪快な一面を持った人でもあった。

マツダさんと、先日、休憩時間に自動販売機の前で立ち話をした。
マツダさんは口の右端に煙草を咥えて、100円硬貨を投入すると「叩け、叩け、叩けぇぇー」と口ずさみながらボタンを押した後、缶コーヒーを取り出して見せると、「あ、どうも、微糖(尾藤)イサオです」と紫煙の奥で鷹揚に笑って言った。
老練などうもマスターは、そのスタンスを変えることなく現役な様子だった。

マツダさんは、缶コーヒーでひとつ喉を鳴らし、所在なげに足元に目を落とした。
「こうさ、暖かくなってくると、蟻の巣をいじめたくなるね、まったく どうも」
唐突に切り出しはじめるので、あわてて「ああ、そうですか」と辻斬りにでもあったみたいに答えた。
「ちっちゃい頃にさ、バクチクを蟻の巣穴に入れて爆破したことない?」
「ええ、ありますね」
「そうするとさ、蟻がわあわあわあわあ巣穴から這い出すよね、その光景を思い浮かべると、郷ひろみが歌ってた、あーちちあちっ(たぶんGOLDFINGER'99のこと)て曲が頭の中で自然と流れるよな」
「流れるんですか」
マチュピチュって聞くと、「コンドルは飛んでゆく」が否応なしに自然と頭の中で流れるみたいなさ」
「否応なしにですか」
「そういえば、あーちちの元歌(原曲)歌ってた外人って、」
「あー、ええ、」
「自分はゲイですって、カミングスーンしたんだよな」
「カミングスーンですか」
「ワムの片割れもだよな、たしか」
「さすがにそれは、もうすぐ公開ってことじゃないですよね」
「やっぱり多いのかね、その業界ってさ」
「ヴィダルサ・スーンじゃなくて、正しくはヴィダル・サスーンなんですよね」
「えっ、オレ、今なん言(て)った?」
「カミングアウトのことですか」
「ああ、そうそうカミングアウトな、やっぱり多いのかね、その業界ってさ」
「多いんでしょうかね、どうもわかりませんね、どうも」


今週のお題は「大人になったと感じたとき」です。