枯れる

どんなに膝を折り畳んでみたところで、膝小僧がハンドルをいたずらするようになりだして、いよいよもって、兄のお下がりの自転車の終焉が見えはじめた幼い頃。

母親に訴えるも、必死で土俵際で踏みとどまって見せるばかり。
仕様がなく、自身の身体よりはるかに大きい母親の自転車に跨って、タチコギで乗りはじめる。

近所のケンちゃんのお母さんに「サーカスに入れるんじゃない」なんて言われて、自慢げにペダルを漕ぎ出した先は 80cmほど落ち窪んだドブ川。
左半身どっぷりと泥に浸かって、泣きながら家に帰ると、ちょうど学校から帰ってきた兄が「あしゅら男爵みてぇーっ!」と腹を抱えて笑うものだから、ことさら大きな声で泣いたら、次の日ぴかぴかの自転車が届いた。

ぴかぴかの自転車に跨ると、地の果てまで走って行けるような衝動に駆られた。
その晩、母親が消防団の人達に、深々と何度も何度も繰り返し頭を下げていたことは、なんとなく記憶(おぼ)えている。


何度か躓くも、無事に自動車運転免許証と自動車(くるま)を手に入れた、たけた青年になりかけの頃。

残念ながら、自動車はぴかぴかではなかったけれど、出来るだけぴかぴかにして乗った。
フロントガラスの先に広がる景色は、いつもぴかぴかしていて地の果てまで走って行けるような衝動に駆られた。
気分は地の果てアルジェリアにアクセルを踏み込むも、ガソリンのエンプティランプが灯る現実に連れ戻された。

ガソリンを求めて走る道すがら、やたらと乱立していたり、点在していたり、はたまた落ちぶれて朽ち果てているガソリンスタンドを目にする。

地中深いところには、ガソリンがどろどろ湧き出していて、そうした場所(うえ)にガソリンスタンドを建てて商売をはじめる。地中のガソリンが豊富な場所にはガソリンスタンドが競って建ち並び、そうでもないところでは早い者勝ちで建てる、そうして地中のガソリンが枯れるともにガソリンスタンドは終焉を迎えるのだろう、などと、ガソリンの匂いがたゆたう漂う車の中で真剣に考えた。

ほどなくすると、円柱容器を後生大事に背負った節足動物みたいな巨きな車が乗り入れて来る。頭を器用に折り曲げて、ガソリンスタンドの出来るだけ隅のほうに申し訳なさそうに停まった。大儀そうに運転手が降りた。コンクリで固めた地面の蓋を開けて、巨きな車に備え付けられたホースを手繰り、「shall we ダンス?」と抱き寄せて地面に差し入れた。

トランペットのマウスピースから漏れたような声高の従業員が、薄青色した紙きれを風にぴらぴらさせて運転席側に立った。
小銭を集めるふりなどしながら、さも興味無さげな様を装って「あれは?」と短く聞いた。
寒空の下、腕まくりしている裾をさらに引き上げながら、「地下タンクへガソリンを補給しているアレのことですか?」と不自然な瞬きを数回見せた。
浅はか甚だしく無知なこと極まりない考え事は、容易く「アレのこと」として片付けられた。
「・・・はい、すみません、普段は早朝か、閉店後に済ませてしまうのですが、今日はこんな時間になってしまいました」と「アレのこと」に「ソレのこと」を補足するようにスタッカートぎみに続けた。

私は「ぁぁ、なるほどなるほど、ね」と小銭をつまんで、爪の間まで真っ黒な手に載せた。


今週のお題は「大人になったと感じたとき」です。