AAA(トリプルエー)

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仕事上社内外問わず、ある程度付き合いが長くなると苗字ではなく名前で呼ばれることが多い。
苗字から名前で呼ばれる切り替わりは、相手が私をある程度受け入れてくれた基準として考えているので、密かにそのタイミングを楽しんでいたりする。
最近、ローマ字を習い始めた彼が「パパの名前は『A』が三つ付くんだね」と言うとおり、名前の母音がすべて『あ』であるために呼びやすいのだと思う。

ただ漢字表記は画数の多い漢字の組み合わせで、小学生の頃、覚えたての自身の名前を漢字で書く際は複雑な図解を書くような気分だった。
その頃、家で留守番をしていると、ちょくちょくピアノやエレクトーンのセールスマンが女の子のいる家だと思って呼び鈴を押した。音読みと訓読みで女の子と間違えられた”本人”が対応に出ると、説明のために用意した行き場を失ったカタログを「じゃ、参考にでも」と置いていった。おかげで飛距離の出る紙飛行機の試作には困ることがなかった。
中学にあがる頃には、一つの名前で学生服とセーラー服のカタログ封書が二つ届くこともあった。

細君の家に嫁いで名前の総画数は、もれなく2%増となった。
それと意識していなかったことだが、漢字を覚えはじめた彼女に「パパは苗字と名前に同じ漢字がひとつ使われているんだね。変なの」と言われた。
「『名は体を表す』といいますが、名前まで個性的ですね」と言われると、勝手にほめ言葉だと解釈し、そんな名前をとても気に入っている。

しかし、両親より、家族よりも、今後共に人生を歩む時間は一番長いであろう、愛すべき名前であるが、最近改名の危機に晒されているのも事実である。
嫁いで姓が変わったことにより、画数があまり良くないということらしく、個性的な名前を司る部位の変更を余儀なくされそうだ。名前の呼び名は変わらず、漢字の組み合わせが変わるだけと思えば単純なことだが、気分的には単純なことではなかったりする。
そうこうしているうちに大病を患って『ほらね』『やっぱり』『言わんこっちゃない』、みたいな事を言われないように、年内にはどうにかしたいと思っている。
その前に、まずは今日の賞与支給をどうするか、だな。