299/365

ヘンゼルとグレーテル

父親は 9年ほど前に肺がんを患って他界した。

前のブログでも書いたことがあるが、私が高校生の頃、母親が熱を出して寝込んだ際に冷凍の揚げ物用エビフライをガスレンジの魚焼きグリルで火を通し、白黒縞模様が鮮やかな彩を添えた弁当を作ってくれるような、そんな頑張り屋さんでもあった。

そんな父親の記憶のひとつで鮮明に覚えている出来事がある。たぶん私が物心ついた頃のこと。

当時、両親はワカメや昆布の養殖業を生業としていた。
このワカメや昆布の収穫時期は決まっていて 2月初〜7月末ぐらいまでの約6ヶ月間。
この期間で1年分の稼ぎをすると言うことになる。
残り6ヶ月間は魚を取ったり、短期で土木作業のアルバイトなどをしていた。
冬の時期、ちょうど11月中旬ぐらいから、鮭が遡上のために海を経由して近くの川にのぼって来る。
鮭を捕獲することは法律で禁止されている。捕獲するための免許があれば別だ。無免許で捕獲した場合、密漁という罪で罰せられる。


その日は、クリスマスまで あと一週間ぐらいの頃だったと記憶している。
2、3日前に初雪が降り、その上に午後から降り始めた雪が 5cmぐらい積もり始めていた。とても静かな 21時前頃だった。

いきなり玄関の引き戸が勢いよく開いた。
勢いがよすぎて戸が跳ね返って、家に入ってこようとした人物が玄関と戸で挟まるぐらいの勢いだった。その人物は全身絞ってしまいたいほどにズブ濡れだった。

まるで、外出先で猛烈に便意をもよおしてしまったが、大便は絶対に家のトイレで落ち着いて済ましたい、そんなちっぽけなポリシーを大切しているため、肛門括約筋と格闘しながら帰ってきた。そんな必死な形相で父親がそこに立っていた。
胸に80cmぐらいの口に小豆色をした液体がついた鮭を両手で大事そうに抱えていた。

自動車教習所で後方確認を目視で行うように、ちょっと不自然でぎこにない、そして素早い動きで後ろを見やり、前方を向きなおすと顔はそのままで目だけで何かを探していた。

その目線は、首までコタツに入った兄のところで止まった。
一旦、抱えていた鮭を床に転がし、兄の両脇に素早く手を差し込んで傷つけぬよう、そして勢いよく大根を畑から抜くようにコタツから出し、鮭を転がし入れ、勢いそのままに風呂場のほうへ消えていった。

母親は、その一連の行動で何かを察したらしく、玄関先周辺、そして茶の間を挟む廊下、コタツ付近の掃除を始めていた。
私と兄は、上体を起こし膝を立てた足を両腕で抱え、コタツの中の物体に足を捕られぬ様な格好で座り、それらの光景をただぼんやりと黙って眺めていた。

その内、父親は風呂場から何事も無かったかのように上下ラクダ色をした下着姿で、拭き掃除に汗する母親をヒョいと跨いで居間を横切り台所に向かい、日本酒の瓶をちゃぷちゃぷと音をさせながら、コップを片手にコタツの空いた一辺にドッカと音を立てるかのように座った。

タンポポの綿毛を吹き飛ばすように長く息を吐き出しながら、コップになみなみと日本酒を注ぎ、吐き出した息を吸い込むが如く、それを一気に飲み干した。
そして「むぅ〜はぁ〜」とアルコール血中濃度の変化を声に出して表現して見せた。

敗戦処理にあたった投手のように疲れた顔をした母親が、空いているコタツの一辺に雑巾片手にすわり、上目遣いで父親に向かって口を開こうとした瞬間だった、玄関の引き戸が激しく 2回音を立てた。

両親共に「あ」の口の形の状態で見つめあったが、続く「...夜分遅くにすみません」との声に父親は、母親に対して顎でその合図をした。

母親が玄関の引き戸を開けると、そこには全身を紺色で覆った 2人の男が立っているのが見えた。
雪明りに濃紺のゴム合羽が怪しく光っていた。

ひそひそとした会話を交わした後、母親を含む3人がそれを申し合わせていたかのように一斉に父親のほうを向いた。
もう、その瞬間には既に父親は畳んだ右足の膝に手をあてて立ち上がろうとしていた。
そばに掛けてあった防寒着をラクダ色の下着の上に羽織って、機械的に頭を下げる男2人のほうへ向かい手振りを交えた立ち話をした後、ほどなくして玄関の外に消えていった。

一連の光景を目にして表現できない恐怖を感じた私は玄関の傍に立ち、外を不安そうに見つめている母親の左足にしがみついた。
いつの間にか雪はすっかり止んでいた。玄関先には、綺麗なオレンジ色をした粒々が散乱していて、その大半は大小の足跡で潰されていた。

数十分後、普段着に着替えた父親は先ほどの男2人が運転してきた車に、ちょっと前までコタツの中で暖をとっていた鮭と共に乗り込んでいた。

その光景を意味がわからない状態で母親、兄の三人で玄関先から見送った。
荒れた狭い路地のわだちを走る車のテールライトは、ダンスを楽しむかの様に激しく上下に揺らしながら、表通りに消えて行った。

私は母親がコタツ布団などを片付け始めるのを見ながら、父親の行方について聞いた。
母親は、砂抜きが足りないアサリを食べたような顔をしながら、無言で懐中電灯を手にとって立ち上がり玄関の方へ向かった。
私は一瞬、兄と顔を見合わせた後、玄関に向かった。

長靴を履いて外に出ると、すぐのところに母親は立っていて、足元のあたりを懐中電灯で照らして何かを確認しているようだった。

雪明りで明るい夜だった。

先ほどダンスを楽しみながら車が出て行った路地とは、ちょうど反対方向に車の通れない狭い一本の小路が海に延びている。

母親はちらりと我々兄弟の方を見て少女のような笑みを見せた。但しそれは年端のゆかぬ少女の笑みではなかった。我々兄弟はそろって母親の傍に立った。
母親は黙って、持っていた懐中電灯を足元から、その狭い一本の小路に沿って照らした。

白い雪の上にオレンジ色の粒々が落ちているのに気づいた。オレンジの粒々は玄関先から海へと続く小路に続いていた。それは白いキャンバスにオレンジ色の線を描いたような、そんな感じだった。

海上保安庁は、船着場から雪上のオレンジ色した粒々(イクラ)を辿って、家を尋ねただけの話だ。

父親は、海上保安庁から懸命に逃げ切ることはできたが、捕った雌鮭が雪上へ産卵してしまい、結果的にそれはダイイングメッセージとなって逆に捕まってしまった。

一晩宿泊し、翌日昼過ぎに父親は帰ってきた。
休暇が短すぎて楽しめなかったような顔をしていた。

そんな、うっかり屋さんでガッカリ屋さんな父親でもあった。

 BZuPFutxAa2i3azafFjrWd1c_500.png
子供達に父親の思い出を少しでも多く残してやりたいと最近思う。
それは良いものでも悪いものでも小さなものでも馬鹿なものでも、とりあえずひとつでも多くの父親という思い出。