閉めない扉は開いたまま

目の前には背丈ほど大きな両開きの引き戸がある。

スティール製の引き戸は、出来るだけ新品に見せるためにホワイトアイヴォリー色のペンキで、何層も丁寧に塗り上げられていた。鏡越しに覗き込んだ時の母親の作りかけの顔に似た感じだった。
扉が接している木の床面部分は、この時期に水仕事を酷使した指先のように、ひどくささくれて悲鳴を上げている状態だった。
赤褐色したくぼみに、何千、何万もの もみじの葉のような手がそうしたように、手をかけて右に押しやる。引き戸はそうされる事にひどく抵抗するような音を立てて開いた。密かに恋心を抱いている隣の女の子が、給食の一時間前ぐらい前になると鳴らす腹の音に似ていた。しかし、引き戸がほんのりと紅く染まることはなかった。

露出補正をプラス側に調整しすぎたような空間に思わず目を細める。瞼をしばたかせてオートブラケット機構を働かせると、そこには丹念に磨きこまれた床面に、白や黄色ラインのスクランブル交差点が広がっていた。
アイスコーヒーの中で氷が音を立てるような空気が漂っていたが、床用ワックスと体育マットが放つ、独特の匂いが鼻腔を一瞬で占拠した。
見上げれば、その時期に今が旬だと夕餉の食卓に並ぶ、魚の小骨に似た天井が広がり、等間隔で死んでいるはずの目がいくつも輝いている。

音が鼓膜を断続的に刺激した。ずいぶん遠いところに感じたが、瞬きひとつで音は目の前にやってきた。
綺麗な白い円に容赦なく横へ分断するラインがまたがる中央部、西に傾きかけた角の取れたやわらかい日差しが差し込んだ先だった。
その当時、ゴレンジャーごっこをすると選択の余地無く、キレンジャーだった友達が奥のほうにいて、向かいで背中を見せているのは、モモレンジャーの役回りをなぜだか進んで買って出る友達が、二人して黄色い長縄を淡々とまわしている。

二人は長縄が床を打ちつけている一点を無表情で見据えていた。鼻やら口から音にあわせるように静かに白い息を吐き出していた。当時の月刊ムーのエクトプラズムに関する特集記事を思い出した。
ふいにキレンジャーがコチラに視線を投げて、色あせた赤いとっくりセーターの位置を気にするように微かに顎を動かした。申し合わせたようにモモレンジャーも振り向いて喉奥を鳴らして頷いた。私は一歩、二歩、歩み寄ってモモレンジャーの左後方に立った。キレンジャーが目顔で合図を送って来る。
長縄で作った楕円形の空間の中では、ホコリが四拍子で優雅に舞っていた。

その空間に飛び込もうとしても、まわる縄を目で追いかけてサイドボードの上に置かれた赤い牛の置物のように、首を上下にリズミカルに動かすことしか出来ない。右足が、その一歩が中々踏み出せない。
モモレンジャーが振り向き、痛む左奥歯の虫歯に左口角を少し開けて、冷たい空気を取り込むように舌先で小さな音を鳴らした。キレンジャーの眉根の縦じわがみるみる深くなっていく。

長縄がまわるリズムに合わせて、体を前後に揺らしてタイミングを計るが、つま先がぢりぢりと音を立てるばかりだ。
キレンジャーは業を煮やし、音にあわせて「ハイッ!」「ハイッ!」と声を上げ始める。その声は広い空間にわんわんと響き渡った。あわせてモモレンジャーも首をかしげて前後に体をゆすりはじめた。

長縄が床を弾く音と、「ハイッ!」という掛け声に相槌を打つように空間はゆがみ始め、腰にまわしたベルトが、正月休み中の不摂生を容赦なく締め上げるような息苦しさを感じはじめた。あせる気持ちで掌が湿っていくばかり──。

今朝方見た夢。ずいぶん遠い昔のこと。
年末年始の挨拶もしないまま、書き始めのタイミングを右足を上げて計っていたら、すっかりヴァレンタインデーも後方に消えた。
そんな心情を察するような夢に背中を押されて、ぼちぼち書き始めることにしました。

そんなこんなでずいぶん遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。