工事現場

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 朝の太陽が新しい校舎の工事現場を照らしている。その中で大人の人達が、いっしょうけんめい働いている。まだ校舎は、鉄こつ棒を組み立てているだけなので、人間にたとえれば、まるでほねのようだ。
 作業ふくをきて、ヘルメットをかぶった人達五人ぐらいで、かたに鉄の棒をかつぎ木で作ったはしごを何回も何回も一歩一歩重そうに上がったり下りたりしている。はたらきバチが花のみつをすに運んでいくようだ。友達は、「ロボットのようだ。」と言っていた。
 二階を作るときまでは、人がかついで上がっていたけれど、三階になると、クレーンで鉄の棒を何本もたばにしてつり上げている。
 クレーンが、だんだんのびて、七、八メートルぐらいになった時は、まるで、きょうりゅうの首みたいに長くなる。その首みたいな部分が何かのはずみで、こわれたらと思うとぞっとしする。運転する人も慎重に注意深く落ち着いてやっている。もしぼくがクレーンの運転しゅになったらまるでだめだと思う。それは、ぼくは、落ち着きがなくて、早くすませたいと思う気持ちが先に立つからだ。
 クレーンのオレンジ色が太陽の光を浴びて美しい。クレーンをじっと見ていると、テレビに出て来る怪じゅうのように見えて、せっかく組みたてた新しい校舎をこわすのではないかと思うほど、ダイナミックな動きをしている。「こんなおおきな機械をほんとうに、運転しゅ一人でうごかしているのかなぁ。」と思った。
 ぼくたちが教室でじゅ業をしている時にもまぶしい光をさえぎるために引いたカーテンに、かげがうつったときは、お化けが、カーテンからカーテンへと、飛び回る感じでぶきみだ。みんなは、「何だ、何だ。」「怪じゅうだ。」と言ってさわいで先生から注意をうけたことがあった。
 コンクリートミキサー車が、工事現場にはいってきた。よく道路で見かける。こんなの近くで見たのは、初めてだ。ミキサー車の車体が回っている。みぞの部分からどんどんコンクリートがおし出されてくる。近所の家を建てる時には、ぼくが、見たのは鉄ばんの上でじゃりやコンクリートの粉をスコップでかきまぜていたかんたんなものだった。今では、コンクリートミキサー車というこんな便利な物ができたので校舎の三階ぐらいならすぎにできるんだなあと思った。
 このごろは、ダンプカーが、工事現場にはあまり入ってこなくなったが、はじめのころはいっぱい石や土を運んで来ていた。「ガガガガーン。」「ザザー。」などとやかましい音をたてていた。今は、その音もなくなりしずかな工事が続いている。
 一番上の高い所で働いているおじさんの白いヘルメットに太陽の光が当たって光っている。おじさん達は、空を飛んでいるような、「落ちたら大変だぞ。」という気持ちだろう。それに仕事のことしか頭にないのではないかと思った。ぼくも一度でいいから、あの上にあがってみたいと思うけれど、学校では、工事現場に、はいってはいけないというきまりがあるのでがまんしている。
 この校舎建ちくの工事は、三月まで続くそうだ。完成するまで、どの人もけがや病気をしなければ、いいなぁと思った。友達は、
「三階にのぼったら、壮快だろうなぁ。」
「でっけぇ、校舎ができっぺぇ。」などといい合って、楽しみにまっている。
 おじさん達は、雨の日も風の日も休むことがなく、力強くしごとをしている。
ずいぶんつかれるのでは、ないだろうか。
 日曜日。ぼくが塾へ行くときでも休まないで働いている。日曜日ぐらいゆっくり疲れを落とせばいいのになぁと思った。

先週末に子供らと実家に行ったとき、ちょうど母は押入れに頭を突っ込んでいた。本人いわく"中"掃除の最中とのことだった。母は私達に気づき「ぴぃーぴーぴーぴぃー・・・バックします」と言いながら、2tトラック並みの巨躯をバックさせた。後退するデカイ荷台を見て冬至が近いことをふと思った。出てきた母は大事そうに一冊の書物を手にしていた。「パパが、ちょうど○○○くん(長男)の学年の頃に書いた作文が載った本だよ」とほこりを撒き散らしながら、ばらばらと頁をめくった。
一週間ぐらい、修正する部分や追加箇所など、うまいこと引き出されて書かされていた記憶。放課後の校庭に響く声の中に早く入りたくて、一生懸命書いていた記憶。この頃の将来の夢は漫画家か本屋の店主になることだった記憶とか、交錯する記憶にくしゃみをふたつみっつして、三十年ぐらい、色々な意味で文体は変わってないという結論に至ったわけ。