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カボチャ嫌い

今日12月22日は 冬至。

冬は植物が枯れ、動物は冬眠してしまうため、食料が手に入りにくくなります。
更に日照時間が短いため生命の源である太陽の恵みを享受することが出来にくく、人々は生活の不安を感じていました。特に北半球では、冬至に対する不安は大きかったようです。そこで無病息災を祈るために、野菜の少ない季節に栄養を補給するためのかぼちゃを食べたり、その香りに邪を祓う霊力があると信じられている柚子のお風呂に入るなどして夜を越していたようです。
冬至は「とうじ」と読みますが、これを「湯治〔とうじ〕」とかけて生まれたのが柚子湯(柚子を入れたお風呂)です。
柚自体にも意味があり、「融通〔ゆうずう〕が利きますように」という願いが込められているそうです。
冬至|日本文化いろは事典

夜が一年で一番長い日なんだから、せっかくだったら色々な意味で、夫婦の日に制定すればいいのにとか思ったり。それは翌年の11月頃の出生率に影響することとは別な話。
私にとって冬至を過ごうえで一番の障害はこれ。

野菜の少ない季節に栄養を補給するためのかぼちゃを食べたり

かぼちゃを食べたり

そうカボチャだ。
好き嫌いは余裕で片手で収まるぐらいだが、その大半はガッツと気合で食べる気になれば、食べれないわけではない。   ...はずだ。
ただ、茶碗蒸しとカボチャだけは、これ食べなきゃ死ぬぞって言われても、死ぬほうを選びたいほどかもしれない。
卵料理は大好きで好んで食べるが、茶碗蒸しだけは全くダメ。茶碗蒸しを問題なく食べれていた頃はあったが、あるときから食べれなくなった。
小学6年生の修学旅行のとき、夕食に茶碗蒸しが並んだときからだ。
隣の友達が茶碗蒸し食べないからあげるって貰って食べた。
それを見ていた同級生が、じゃ俺も私も ってんで結局15個ぐらい調子に乗って食べた。その晩、気持ち悪くなって寝込んでしまったのは言うまでも無い。
それから茶碗蒸しを受け付けられない体になってしまったようだ。
カボチャは、母がカボチャ嫌いだったために食卓にほとんど並ぶことはなかった。ただ、やはり冬至の日には申しわけ程度に盛られていた記憶がある。
それが理由で嫌いになった訳ではなく、別な理由で嫌いになった、いや厳密には食べれなくなった。
幼い頃、家の裏側に畑があってよく遊び場にしていた。家と畑のあいだに垣根があって、日当たりの悪い垣根の根もとのところにひび割れたカボチャが転がっていた。何の気なしに亀裂の入っている部分に、木の枝を突っ込んで割ったらカボチャの種の大きさした虫が、うじゃらうじゃらとスクワームな状態だった。

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実際には、それはミミズの類では無く、なんでもカボチャミバエの幼虫(要するにウジ虫)らしい。それからカボチャを食べることが出来なくなった。*1
けど、ぽんこさんに叱られたので、今日は少しがんばってみようかと思う齢40歳だったり。

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*1:そもそも母がカボチャ嫌いなので好き嫌いを助長させる結果とも言える