穴のあいたポケット

両側に大型のホームセンターやドラッグストア、酒のディスカウント店、コンビニエンスストアが建ち並ぶ片側二車線の先は、緩やかな登り路。

ちょうど天辺あたりに信号機がある。左脇の歩道に「この先一車線」「車線減少」の黄色地に朱書きの立看板が、ドミノの様に並び、花粉と乾いた泥粉を運ぶ風に平べったい音を立てながら揺れている。

行く先で一台分の前後が入れ替わるに過ぎないのに、自信満々にウインカーを下げて、意気揚々と右車線に移った軽自動車が右のドアミラーの中に入る。
信号が青に変わるか否かのタイミングで、タイヤを軋ませてスタートダッシュする。緩やかな下りの右コーナーに入る直前で、左ウインカーをあたふたと点滅させて、つんのめった感じでブレーキランプを数回点灯させて車線変更した。
乾いた土煙が視界を土色にした。

しかたなく減速した先は海に続く路。津波に力任せに奪われた復旧したての路。
道路沿いには、長い棒を忘れて綱渡りしているような、コンクリート土台むき出しのガードレールが並べてある。

コントラストを下げすぎた感じのクロムフィルタを駆使したような水面が広がった。
波打ち際から砂浜まで、力ずくで奪ったお礼の品物(残骸)が展示しているように見える。
春の陽気に誘われて訪れたわけでは無いだろう、揃いの服を着た人達で海辺は賑わいを見せていた。

実家に向かう道すがら、瓦礫の山に僅かな駐車スペースを見つけて車を寄せた。
思春期のように頑なに閉ざしたままの水門を乗り越え、防波堤沿いを歩いて海へ降りる。
リングで大の字にされて、トップロープに駆け上がる相手選手を見たときのように覚悟は決めていたが、見慣れた海の風景は一変していた。

近年、急速に綺麗過ぎるぐらいにコンクリートで敷き詰められていった船着場あたりは、泥と海の下に埋もれていた。不自然に囲んでいた堤防も姿を消していて、眺めの良い湾内に様変わりしていた。

木造の桟橋、船着場、作業小屋が、端からテトラポットとコンクリートに侵食されて行った、幼い頃の覚えている海の形に戻ったような感じだった。
雑多なものが入り混じった波打ち際もそうであるが、なにより海が近くに感じた。
四、五十センチ沈んで(地盤沈下)しまった影響からだろうか。

歩み寄りを見せる海に静かな恐怖を感じた土曜日のこと。