知恵熱

寥寥とした更地を掻き分けるように通る一本道を自動車で走っている。
所所に、人たちの生活が瓦礫となって、盛り塩のように積み上げられている。
助手席(となり)には、小学四年生当時、これといって特段そのような魅力があったわけではなかったが、クラスから絶大な人気があったマサヒサくんが薄く座っている。

床から生えたアクセルを踏んで、ただただ真っ直ぐに北へ向かっていると、外の景色がぐらりたわんでひしゃげた。
自動車を道のなるたけ端に寄せて停めると、地面がぐらりぐらり揺れているので、すぐに地震だと知った。

記憶に新しい経験(こと)から、マサヒサくんに「もう、すぐに、津波が押し寄せてくるだろうから、高台に逃げましょう」と目をやった向こうに、空に二十メートルぐらい伸びた、一辺が三メートルほどの角柱が見える。こちらに向いた面には、縄梯子が左から右にひょうひょうと心細く揺れていて、天辺に赤赤と小さく神社が建っている。走れば三分の距離の様子だ。

「さあ早く、津波が来ます、さあ早く」と自動車のドアを開ける。
「いえいえ、ボクはここにこうしていることにしますよ」とマサヒサくんは云う。
「どうして、どうして、さあ、さあ」と急かすと、「ボクは高所恐怖症で、おまけに泳げないカナヅチだから、こうしていますよ」さも落ち着き払った様で云う。
「いや、いや、大丈夫です、大丈夫です、私が手を引くので、あなたは目をつぶっていればいい、さあ、早く早く」と助手席へまわりドアを開けて、マサヒサくんの左腕をむんずと掴んで外へ引っ張る。足元で水の音を聞いた。
「だって、ボクは高所恐怖症で泳げないカナヅチなのですよ」と辟易しながらも、左足首まで水に浸した。

ゆらりゆらり蠢いている地面をばしゃばしゃ音を立てて進んでゆくと、「ササキさんの首のところに、金属クリップが生えていますよ」半歩後ろでマサヒサくんが、平坦な口調で云う。咄嗟に右手を襟足あたりから下に滑らせた先、ちょうど背骨がぽこりと隆起したところに、吹き出物であるようなイボであるようなモノに指先が当たった。人差し指でそっと触れると、身体とつながったところがすぼまっていて5mm球体ぐらいのぐすべりの実みたいなモノが、ぐらぐらと揺れている感じだった。痛みや不快感はなかったのだけれど、マサヒサくんが「金属クリップ」と云うのでこれ、すら恐ろしい心持ちになった。

「これ、ですか」と云うと、「それです、それ」「引っ張ってみましょうかね、とりあえず」とつまみ上げたことを感じた。
「えっ」と振り向こうとしたら、いつの間にか赤橙色したぴたぴたした全身スーツを身に着けている。若干肌色が透けて見えた。恥ずかしくなりだして、とりあえず、両手で股間を覆った。
「じゃ、いきますよ」。
マサヒサくんは、つまんだ金属クリップを引っ張った、みたいに感じた。
背中を金属クリップが繋いでいるらしい感覚。
その継ぎ目に沿って、勢いよくタテに裂けて、尻の割れ目の始まりのところで止った、みたいに感じた。
「むきだしですよ、ササキさん、なんだか、むきだしです」。
むきだしになったらしい微微細細な神経のありとあらゆる部位が、しだいにちくちくと痛み出し、関節のフシブシはぎしぎしだした。

ゆらりゆらりしていた地面はぐらりぐらり大きく揺れはじめる────


────「オーズだよ、オーズ」と彼女に身体をぐらりぐらり揺すられて目を覚ました、日曜の朝八時。
「さっき、うーんうーん、唸って(寝て)たよ、パパ」
ふふんと鼻を鳴らして彼女は笑った。

子供らと球技遊びなどに精を出した結果の表れか、昨日の今日で筋肉が痛み出すなどまだまだ若い身体じゃないか、などと思ってはみたものの、なかなかどうして若いらしい身体はまったくもって云う事を利かずに、関節のフシブシが不平不満をもらした。

細君と彼女が買い物に出かけ、彼がゲーム機のコントローラーを差し出すも、それを丁寧に断ってソファの上にごろりと力尽きた。
意識の水面で漂っていると、身体に入り込んだそれがしが、見る間に滲出しだしたらしく、ますますもって身体中が悲鳴を上げはじめる。
セキ、クシャミ、ハナミズ、ノドの痛みなどの諸症状は無く、発熱とそれによる関節の痛みなど。
取り急ぎ、被害状況を確認するためにと、わきの下にはさんだものが示した数値は、みごとにK点越えを記録したのを目にして、とりあえず、置き薬を飲んで床にひれふした、日曜の昼十二時。

 52401

結局、月曜は仕事を休み、布団の中でごろごろしていたのだけれど、いい加減ごろごろすることにも飽きて布団から抜け出し、腹から冷蔵庫が啼くような音を聞いて台所に向かうことにした。
冷蔵庫を開けて、手っ取り早く小腹を満たしてくれるであろう、五本パックものを探しあてる。

するすると一本引き抜き、ソファーに座って、赤い包装袋の開封口を勢いよく太ももに押し当てると中身が飛び出す。
中身を左手に持って、赤橙色した包装フィルムがケーシングされた金属クリップの根元を左犬歯ですこし噛み切る。
そのまま犬歯で金属クリップをくわえて、継ぎ目に沿って下(タテ)に裂く。
包装フィルムを左右に剥くと、肌色した中身はむきだしになって、ぷらぷらとおぼつかぬ様で揺れ動く。
足元で老猫がせわしくなくので、咀嚼したものを与えながら、ふたりして魚肉ソーセージをむしゃむしゃ食べた。

三本食べ終えて、魚肉ソーセージを食するための包装フィルムを剥ぎ取る作法は、ちょっとした私の特技だな、などと考えているうちに夕刻までどっぷりと寝てしまった。


今週のお題は「私のちょっとした特技」です。