黒い渦

最初の一ヶ月が過ぎた。

勤務先は海岸に沿って広がる街の中心部から、北方面に同じように広がる中心部を繋ぐ山間を通る国道沿いにある。近くには県立病院や、介護老人福祉施設が建っている。いわば「もしも」の場合を回避出来る場所(ところ)にある。

IMG_0117

その日、その時刻、モニターの前で「S」のキーが消えかかったキーボードを打っていた。フロアにあったすべての携帯電話から、エリアメール(緊急地震速報)の音が一斉に鳴った。一瞬、なにが起こったか理解できずに真向かいの同僚としばらく見つめ合った。変な感情が湧き出す前に、洗濯物が片側に寄って脱水をはじめた洗濯機みたいに揺れはじめた。

それまで経験した揺れ方で無いことは判断(わか)った。しばらく様子を伺っていたが、収まるどころか激しくなるばかり。すぐに何の前触れも無くモニター電源が切れてUPS無停電電源装置)が鳴り出したのを合図に外に飛び出した。

駐車場の車は、さながらライブハウスのモッシュ状態でアスファルトで固めた地面はクラウド・サーフィングみたいに波打っていた。覚えたばかりの遊びを、無邪気に楽しむように大地は大きく揺れ続けた。

細君に家族の無事を確認するも、彼が下校途中かもしれないという会話の途中で携帯電話は圏外を表示して息絶えた。

防災無線大津波警報を知らせる。
この時点では、誰しも過去の津波がそうだったように、所詮、その程度なのだろうと思っていたはずだ。
開いた携帯電話、開いた車のドアからTVを点ける。
テレビモニターが見慣れた景色、見慣れた建物を映し出す。巨額の税金を惜しげもなくつぎ込んだタラソテラピー、道の駅、レストランや催事場を併設した建物が、黒い水塊に飲まれ、ひしゃげて流されていく様。
4月に予定されている新入社員研修は、どこでやることになるのだろうと冷静に考えている自分。
テレビモニターの先で起こっている現実を事実として受け入れることはできなかった。受け入れたくはなかった。

浮き足立っていると、行き場を失い、とりあえず集荷に来るしかなかった運送屋が、国道はすでに通行止めの状態にあることを教えてくれた。
津波が残した海水と瓦礫による物理的な通行止め。陸の孤島状態。

日が暮れだし、会社での待機状態を考えて色々と準備する。
居ても立ってもいられずに、徒歩で帰りだす社員もチラホラと見られた。入れ替わるように津波被害を受けた市街を見てきた社員が帰ってくる。市内は腰ぐらいまで水に浸かっているだとか、車が何台も重なっている、電信柱に軽自動車がぶら下がっている、家の屋根や車が道を塞いでいるとか、道路には船が溢れかえっているなど、ひとしきり話した後、「もう、なにもかも、なにも無い状態です」と締めくくって目を伏せた。

街中から様々な光を津波が奪った夜。
見上げた空には皮肉なぐらいの夜空が広がり星が瞬いていた。