スコップで拾い上げた先の記憶

中学高校時代はバンドを組んでいた。高校を卒業してからも、その延長で誘われるままに、なんとなくバンドは続けていた。成人になってからは、先輩が変な夢を見はじめてしまい、その方面を真剣に職業として考え始めた。私は水面に漂うプランクトンほどのアマチュアというカテゴリーの中で、バンドを遊び程度にしか思っていなかったので、正直、苦痛で仕方なかった。結局、大きなコンテストを通過出来なかったことを機に、膨らました風船は自然に萎んでいった。

先週末、実家で津波被害の片付けに汗していたときのこと。泥を救い上げていた剣スコップの先が大物を拾い上げた。若い頃にベットの上で熱心に鍛えあげた腰を使って、瓦礫の山へ投げ込んだ先には、泥をサンドイッチの具にしたような楽譜の山。ねずみ色になった軍手で泥を拭う。24年ぐらい前のちょうど今頃に、必死になって練習していた曲の楽譜。

予餞会を数ヵ月後に控えたある日のこと。友人の部屋で竹で出来た塊を崩して混ぜては並べて積み上げながら、暴力的なスリーコードで叫び系のジャンルではなく、あえて意表をついたジャンル(こと)を演ってみるのはどうだろうと話をしていた。面子からあぶれてしまった友人が、何気につけたテレビから流れたCMソング。高校一年の時に偶然 1stアルバムをジャケ買いして以来、好きになったバンドの曲だった。

その日のうちに点棒そっちのけでバンドスコアを持っている先輩のもとに向かった。翌日、久しぶりに学校に行って職員室でこそこそとバンドスコアをコピーした。なにか理由をつけては、覚えたばかりのアルコールを口にする会を開くたびに「六本木心中」と「翼の折れたエンジェル」を熱唱していた同じクラスの女友達に、ダビングしたテープとバンドスコアのコピーを渡した。それ以上、大して用も無かったので校舎を後にした。

私はバンドでヴォーカルを担当していた。今回、コピーをチャレンジするバンドではヴォーカルがサックスを吹いていて、重要なメロディーラインを奏でている。その頃の私は上手にホラを吹くことは出来たが、サックスを吹くことなど出来なかった。
しかし幸いなことに仲の良い先輩が珍しいソプラノサックスを持っていたり、吹奏楽部でアルトサックス担当していた小中高と腐れ縁で、幼馴染の女友達が近所に住んでいた。

今ではコンクリートの基礎しか残っていない、その当時に小屋が建っていたその場所で、夜な夜な、時には明け方まで夜鷹(ヨタカ)は鳴いた。時にはうまいこと吹くことが出来ずに泣いていたときもあったのかもしれない。初めて出来る限りの努力した時だったかもしれないし、あり余すだけだった時間の本来の使い方を知った時だったかもしれない。
結果、予餞会は大好評のうちに終えることが出来た。あの頃、その時の大事な思い出。

実家に通って片づけをしていたが、先週末に兄がひょっこり帰ってきて、かろうじて残った実家を取り壊すことにすると容赦なく言い放った。逆に言うと片付ける必要は無かったと言うこと。下の二曲は、その時の次男の心情を表している曲名のような気がする。

今聴きかえしても、逆に新鮮さを感じる曲。

 なんだったんだ?7DAYS
 

 負けるもんか
 

 女ぎつねon the Run(アサヒ「三ツ矢サイダー」CMソング)
 


泥まみれの楽譜の下に、幾度目かの停学中に詩を書き綴ったノートを見つけて、あわてて瓦礫を退けて地中深くに埋めた先週末のこと。