名は体を表す ー 追記

名は体を表す(296/365 - 今日は死ぬにはいい日だ

曇りガラス越しの記憶を辿って「ホンダくん −3」 を書いていたとき、辿っていた端に爪を立てて甘噛みする記憶の句読点のような真っ黒な猫のことを思い出した。
その当時飼っていた猫のこと。

彼が来た時期は定かでは無いが、当時家には犬の「クマコ」と猫の「ミカ(コ)」がまだいた頃だったと思う。

彼は浜に捨てられていた猫で、近所の子供らが食べ物を与えていたらしい。*1

そんな彼は「クマコ」のご飯の残りを目当てに度々家に来るようになった。
そのうちに「クマコ」に気合をかけられることが多くなり、それを不憫に思った母が玄関先に彼のご飯を用意するようになった。

それから彼は腹がすいたときは玄関先でないてその意思を伝えるようになった。

日が短くなり始めた頃、寒さしのぎに家の前にある小屋の中に、鮮やかなバナナの絵が描かれているダンボール箱に擦り切れたタオルを敷いたベッドを用意した。

父は「ミカ(コ)」を溺愛していたかどうか定かではないが、頑なに彼を家に入れようとしなかった。

どちらかといえば彼の世話は母が積極的だった。
母がペットを呼ぶ際、雌雄問わずに名前のあとに「コ」をつけることが通例であったが、今回は「クマコ」を飼っていたこともあってか素直に「クロ」と呼んでいた。

そんな初冬のある晩のこと。
当時、私の部屋は2階にあり布団から手を出せばすぐのところに窓があった。

ガッガッガガアァァァー!という激しい音に目を覚ました。
しばらく耳をそばだてていると、続けざまにカリカリカリカリカリ・・・と断続的な音。

手を伸ばしてカーテンをつまみあげると、黒い物体が猫立ちして窓枠に爪を立てて必死に窓を開けようとしている。反対側には無残にも大きな穴が空いて押しやられた網戸。

鍵を開けたとたん、外の寒さと一緒に彼は<こないだまで若い若いと思っていたが流石に今日の寒さにはお手上げだ。その上げた手が探し当てたのがそこの窓だっただけのことだ。暖まる術は心得ているから問題を起こすことはまずない。無駄な心配は必要はない。>「ふぅぅぅンニャー」とふたつみっつ鳴いて、会計カウンターで小銭をぶちまけてしまったときのように、せわしなく鼻先を動かしながら中に入ってきた。

数回なき声をあげてベッドの上を周回した後、私の左足近くの布団のうえで遠くの落雷のように喉を鳴らしながら器用に小さくなった。

それからは当然のようにそこをねぐらにして、夜が明ける前に窓の鍵を開けろとなき、それを聞き入れない場合は容赦なく顔面に肉球を振り下ろした。鍵が開いているときには豪快に窓を開け放って、トタン屋根の上に小さな足音を残して闇に消えた。

そして気づいた頃には、台所の流しの下にある白色の無機質なプラスチック容器に顔を突っ込んで食事をするようになっていた。そうなるまでには大して時間はかからなかった。

彼は若い頃、歴代の雄猫 *2 達が皆そうだったように家に帰らないときが度々あった。長いときで3ヶ月ぐらいのときもあった。

一度、夢の中から彼のなき声を聞いて夜中に目を覚ましたことがあった。
1ヶ月ぶりのなき声は窓の外ではなく1階からだった。階段を下りてなき声を探すとそこは玄関先。

鍵を開けて中に入れると、台所へ向かう足取りが暗闇でもわかるぐらいにおかしい。右足をかばって歩いている感じだった。

台所の電気を付けて白色容器に顔をつっこんでる彼の右足をあらためて確認すると、右足の内側全体が血だらけで骨が見えるほどの傷を負っていた。

とりあえず、オロナインH軟膏と絆創膏を探し出し、あたふたしているといつの間にか後ろに立っていた父が「ほっとけ、ほっとけ、猫は舐めて直すんだから。へたに薬なんか塗るもんじゃない」と言って右手で尻を音を立てて掻きながら便所へ消えた。

彼は用意したご飯を綺麗に平らげると、玄関に向かってピョコピョコと歩き出し、<騒ぎ立てることはない。君には分からなくて当然の事だが猫にとってこの程度の傷は眠くなったらアクビがでるのと同じぐらいのことだ。>玄関を開けろと「ふぅぅぅンニャー」とふたつ、みっつないた。結局、どうすることも出来ずに戸を開けると彼は暗闇に姿を消した。

2、3日経って姿を表したときには傷はほぼ完治していてすでに産毛が生えていた。なんだか2、3日間心配して損した気分になった。

「ホンダくん」の女性関係が見え隠れした晩以降彼をしばらく見なくなった。

まだ家の細君ときゃっきゃっうふふだった頃。
パチンコ店の上にあるちょっとこじゃれた居酒屋に行った夜のこと。
次の店に移るため無駄に複雑な階段を下りながら、話のタネにパチンコでも打ってみようと派手に音を吐き出している先に向かった。

ジャンジャンバリバリ (ふぅぅぅンニャー) ジャンジャンバリバリ (ふぅぅぅンニャー)

まさかと思いながら、パチンコ店の脇の植え込みに目をやると植え込みの影に同化した彼の姿が見えた。
「クロ」と数回呼ぶと目を光らせながら、影の一部が切り取られてコチラに向かってくる。

一応、確認のために左手で作った「OK」サインを彼の鼻先に差し出した。
彼は躊躇することなく、人差し指と親指で作った「O」に鼻先から顔を差し入れた。
それは彼と私のスキンシップのひとつだった。

実家から、その植え込みがある場所までは直線距離で約5km弱。国道で5〜6km程。
途中に川に架かる橋が数本あり一番近いところで橋の長さは200m程に及ぶ。

驚くどころか感心しながら、「クロ、いい加減家に帰って来いよ。母ちゃんが心配してるから」と撫でながら言うと、<オレのことを心配する前に、君はまず隣の女性とこれからの時間を有意義に過ごすためのことを心配するべきだ。オレは北北西の風が強くなる前にはもどるとだけ伝えてくれ。>「ふぅぅぅンニャー」とふたつ、みっつないた。

彼女 *3 も心配してくれて2人して色々と考えていたら、尻尾を勢いよく振りながら植え込みの脇の闇に消えてしまった。

それから3日ぐらい経った日。
家に帰ると流しの下の無機質な白色したプラスチック容器に頭を入れている彼。
そこには日常の風景があった。いた。
なんでも昼ぐらいにふらりと帰ってきて、歓喜の声を上げる母を制するようになきながら、<若い女以外に歓喜の声をあげられるのは馴れていないんだ勘弁してくれ。2、3日前から腹がうるさくてたまったもんじゃない。まずそれをどうにかしたい、話はそれからだ。>食事を要求したとの事だった。

そして5、6年ぐらい前のこと。

「クロ」の具合が悪いと母が電話をしてきた。
一週間ぐらい前から自力で起き上がることも、ご飯を食べることも出来なくなったと。

会社帰りに実家に寄った。
小屋の中でダンボールでこしらえたベッドの上で目をつむって腹で大きく息をしていた。

「クロ」と声をかけながら、近寄ると鼻をフガフガして目を辛うじて開いてくれた。
<情けない話だがこればかりは避けられない事実だってことをここ一週間でようやく理解できたよ。ただ生き急いだわけでは決してないから、その辺は心配するな。>と「ふぅぅぅンニャー」となくように小さくぷるぷると2、3回口を開けてみせた。

そのうちぶるぶると身体を震わせながら、ふた周りぐらい小さくなってしまった身体をわざわざ起こしてダンボール箱をまたいで私の足元に身体を摺り寄せて来た。

すっかり軽くなった身体を抱き上げ、ベッドに戻して「OK」サインを作った手で鼻先からなで上げてやった。しばらくなでてやった。

翌朝早々に「クロ」が動かなくなったと母から電話があった。

*1:家で飼うようになってからご飯を運んでいた子供たちが得意になって教えてくれた

*2:「ジョンコ」

*3:現在の家内